日々の中で 2026/01/15

先週、金曜ロードショーでかぐや姫の物語を始めてみました。

いままで帝の顎くらいの情報しか知らなかったのですが、見てみるといろいろと思うところが多い作品だなと思いました。いろんなサブカルチャー作品でも人気のあるかぐや姫ですが、原作の竹取物語は日本最古の創作物語といわれているのです。今日はつぶやき半分でかぐや姫関連で思ったことをいろいろ書いていこうと思います。以下、ネタバレ(もはや竹取物語のネタバレ)多少含みます。

生と死について

さて、人間は死んだあとどこに行くのか、この問いを一度も考えたことない人ってなかなか珍しいのではないでしょうか。多くの宗教において、ほとんどの場合死後の世界は定義されています。日本に住んでいるとあまり、宗教を意識しないと思いますが、日本古来の宗教である日本神道にも黄泉の国という死後の世界は存在します。古事記の有名なお話ですが、火の神を産んで大やけどを負ったイザナミノミコトはやけどが原因で死に至り、黄泉の国へと行ってしまった為、イザナギノミコトは黄泉の国に会いに行って、変わり果てた姿を見られたイザナミノミコトは怒り、「この国の人草を千人絞り殺そう」といったこと、さらにイザナギノミコトが「ならば1日に1500人生まれるようにしよう」といったことが、寿命ができた理由、生と死が動的なものに変わった理由とされております。

では、科学的にはどうでしょうか。「死」という観点で考えると、誕生して間もないころの古細菌も、細胞が外的に損傷されればそれは「死」を意味するので、限りある命、寿命という観点で考えてみました。

*私はふとした疑問の答えを知るうえで主にchatgptと会話することが習慣なので、以下の内容はchatgpt時々原典の確認というスタンスで記載していることについてご理解願います。

chatgptってchat=会話の中で、同じ質問に対しても違う答え方をしてくれるから楽しいですよね。

まず、生物の歴史を簡単にお話ししますと、最初に生まれた生物は古細菌といわれる単細胞生物で、原始地球において化学反応により生じたという説が有力です。その後、光合成をおこなうシアノバクテリアの誕生、多細胞生物の誕生といったように多様に進化していきます。

その中で「寿命」はいつから生まれたのでしょうか。

まずより古くから存在する単細胞生物についてです。単細胞生物は持っている遺伝子を元に細胞内で代謝を行い、生存していることになりますが、単細胞生物に今我々が持っているような明確な寿命はないと言われます。というのも、このような細菌は細胞分裂によって子孫(個体?)を増やすため、自分と同じ個体を増やし続けますので、もし寿命があるのであれば、一つの単細胞生物から分裂してできた単細胞生物たちは同時に死を迎えることになるでしょう。

では、生物の誕生後から現在まで生きている細菌がいるのでしょうか。結論から言うと、生物誕生から現在まで生き続けている個体は存在しないでしょう。なぜなら先程記載したように、明確な寿命はありませんが死は存在するんですね。

例えば、悪性腫瘍は細胞が遺伝子変異を起こすことによって生じるとされますが、細菌は遺伝子変異を起こすのでしょうか。結論として、細菌も遺伝子損傷を起こし、遺伝子損傷が原因で死に至ります。

*参考文献:Bacterial Cell Killing Mediated by Topoisomerase I DNA Cleavage Activity

また、最近では細菌も分裂するときに細胞同士の偏りが生じることもわかっています。細胞分裂の際に古い極を継承する細胞は成長率の低下や致死率の増加をきたすとされており、老化に近い減少とされています。

*参考文献:Aging and Death in an Organism That Reproduces by Morphologically Symmetric Division

そんな単細胞生物は生存競争や環境への適応という点において、一つの細胞で生きていくことが徐々に困難になっていきます。そして集まった単細胞生物たちや、細胞分裂の際にくっついたままだったものが、細胞の集合体としての個体を形成するようになります。その目的は、個体を形成する細胞同士の役割分担や大きさを得ることで生存率を上げる為であったと考えられています。

そうして進化していった多細胞生物は進化の最中で、生殖細胞と体細胞の分離というものを確立させます。それまで一律に遺伝子の損傷を起こすリスクがありましたが、これによって生物は次世代に残す生殖細胞の遺伝子を大切にし、体細胞の遺伝子損傷はある程度は容認するようになりました。この結果、個体の寿命というものが生じたと考えられます。

これまで生命の誕生から寿命が生じるまでの一説(あくまで一説)を長く書いてきましたが、ここで竹取物語に戻ろうと思います。

竹取物語では地上から永遠の命を持つ月の民として月に戻るかぐや姫が、すべての記憶と感情を失う記述がありますが、「永遠の命」→「感情を持たない」という認識が10世紀以前にもあったんだなあとしみじみ思います。もちろん、上記のような科学的な知識が当時の人たちにあったわけではありませんが、寿命というものと感情というものが密接につながっているのではないでしょうか。

最近でもフリーザ様とかFateの臓硯とか、不老不死を目指すアニメキャラって冷酷無慈悲だったりしませんか笑、冷酷無慈悲→不死なのか、不死→冷酷無慈悲なのかそもそもこの因果関係は成り立つかどうかはさておき、生命というものは限りがあるからこそ感情豊かに生きているのかなあ、桜みたいだなあと思いました。

ひとまず、今日は以上で、本筋のブログも進めていく予定です。まだ始めたばかりで趣旨が定まっていませんが、暇つぶしに見ていただけますと喜びます。

それでは、

2026/1/16


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